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![]() 少々掲載が遅れてしまいましたが、今回は今年建設された武道場をご紹介したいと思います。 ■武道場入口と縁側 ■入口にある書 入口を入って左側には頭山満翁の「洗心清意」、右側には西郷南洲(隆盛)翁の「天壌無窮」の真筆があります。これらは護国神社での縁がいろいろとあり、賢人塾に御寄進していただいたものだそうです。 このお二人がどのような方なのか全く存じておりませんでしたし、きっと自分と同じ年代の方達もあまりご存知ではないだろうと思い、検索して少し調べてみました。 西郷南洲翁について 頭山満翁について その中に以下のような文章があります。
西郷南洲翁が鹿児島、頭山満翁が福岡。そして頭山満翁没後約60年の今、熊本にお二人の真筆が向かい合って飾られています。これは単なる偶然なのでしょうか。 普段田端代表と接していると、西郷南洲翁や頭山満翁と同じお考えをお持ちだと思うのです。ですから、その縁があってお二人の書が賢人塾に来たのではないでしょうか。 「命もいらず,名もいらず,官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり,この始末に困る人ならでは,艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」(命もいらぬ,名もいらぬ,官位もいらぬ,金もいらぬというような人は処理に困るものである。このような手に負えない大馬鹿者でなければ困難を一緒に分かち合い,国家の大きな仕事を大成することはできない。) 「人を相手にせず,天を相手にせよ。天を相手にして,己を尽くし人を咎めず,我が誠の足らざるを尋ぬべし。」(人を相手にしないで常に天を相手にするように心がけよ。天を相手にして自分の誠を尽くし,決して人を咎めるようなことをせず,自分の真心の足らないことを反省せよ) この文章は西郷南洲翁の遺訓です。代表のお話を聞いたことがある方なら、通ずるところがあると感じるのではないでしょうか。 また、長野でご縁のあった頭山満翁の言葉のお軸があります。それは一度見せていただきましたが、「人生意気に感じる」と書いてあったと記憶しています。正に田端代表の人生観そのものではないかと思います。 そしてお二人に共通している言葉が「敬天愛人」と言う言葉です。これは天を敬い、人を愛するという意味です。これも田端代表の姿勢・生き様そのもので、この四文字に全て凝縮されていると言っても過言ではないかと思います。普段一緒に暮らしていて本当にそう思うのです。ですから、二人のご意志を継がれるのは田端俊久代表に間違いないのではないでしょうか。(大げさな表現と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、お会いになったことがある方ならご理解いただけると思います) ■武道場の内部 今度機会があれば私達が普段練習をしてる様子も同じ研修生の許可をもらってご紹介できたらと思っております。 普段田端代表からそれぞれの研修生がそれぞれに指導・訓育をしていただいておりますが、その内容も全部は無理ですが自分のできる範囲で載せていければいいな、と思っております。 しかし、プロフィールでも書いてある通り浅学非才の身ですから、理解が深くない場合が多々あります。「同じ話を聞いても人それぞれに理解の仕方や理解のレベルがある」ということを普段代表から言われています。同じ話を聞いてもその人の意識レベルに応じて、理解する内容や深さに違いが出てくるので、前に聞いたことでもそれをそのまま聞き流してはいけないということです。同じことを言われてもその人の意識が進化していけば、その進化に応じた理解になるということです。 ですので、私の言葉は現時点での私の理解ということで御了承ください。 ![]() |
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![]() 先日賢人塾内で撮影した写真を掲載いたします。 建物の内部については代表の許可がないと公開できませんので申し訳ありませんが今回は見送らせていただきます。 阿蘇では四季によって景色ががらっと変わりますので、また違う季節にその美しい景色と共に写真を公開したいと思います。また、 個々の建物についての説明は機会があれば掲載したいと思います。 ※吹禅堂から鼓楼へ続く道 ![]() |
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